夜半すぎ[アイドルマスター二次創作]

 雪歩の身じろぎで、夜中に目が覚めた。ぼんやりと目を開いてみても視界は一様に暗く、カーテンの向こう側にもうっすらとした街の明かりをのぞいては光の気配が感じられないので、夜明けはまだ遠く、真夜中といっていい時間なのだろうとボクは思う。当の雪歩は隣で聞こえるか聞こえないかのかすかな寝息を立て、見つめるボクの視線にも気づかないまま眠っている。

 雪歩を起こさないようにそっと片手を動かして、その髪をなでる。その肩の、露わになった肌にやさしく触れる。何ひとつ損なわれるところのない滑らかでさらさらとした雪歩の肌に、ボクの指や手のひらが、おずおずと重なる。そうして、彼女の腕、脇腹、腰のかたちを見ることなく知れる。無数の細胞どうしで触れあうその感触にぞくぞくとした悦びをおぼえているのが自分でわかる。どうして彼女はこんなにも柔らかいのだろうか。けれどボクは今すぐにでも雪歩を抱き締めたくなる気持ちを我慢する。

 ボクと雪歩が「こういう」関係になってからもう一年近くが経つ。互いに距離を測りながらの関係も一線を越えてしまえば気安いもので、以来ボクたちは体を重ねてばかりいるが、忙しい仕事の合間に互いをできるだけ感じる方法はこれ以外に考えられなかったし、普通の女の子としての生活なんてもともと自分たちにはなかったのだ。

 薄明かりに透き通るような雪歩の肌の下には彼女の筋肉と、骨と、内臓とがいまも生きて、彼女を形づくっている。ボクは、そのどこに雪歩の心は在るのだろうかと考える。彼女を知らない人には一見気弱なように見えるけれど、本当は力強く、活き活きとした彼女のその心は。

 最近、雪歩は変わったねと皆は言う。おどおどした様子がなくなった気がする。男の人を前にしても落ち着いている、笑っているところすら見かけるようになった。真くんと一緒にいるあいだに変わったみたいだ、等々。はじめて事務所で顔合わせをした頃にはあんなに自信がなさそうで、人前に立つことさえ恐れ、仕事のたびにボクの背中に隠れていた雪歩が今では、ごくごく普通に他人と談笑している姿をみせている。それは周囲の人びとにとっては十分に驚くべき事態だろう。けれどボクは知っているのだ。彼女の本当というのはその強さであり、泣いたり落ち込んだりすることはあっても、決してめげない、屈しない心、それを持つのが彼女であり(そうでなければ彼女みたいな泣き虫がこの業界に三日といられるものか)、それだから雪歩が変わったと見えたとしても、それは、彼女の内面がようやく傍から見ても理解されるくらいに現れたというだけのことなのだ。雪歩が時間をかけて彼女の世界を、彼女を取りまく現実の方を変えたのだ。

 一方のボクはと言えば、雪歩と出会ったその日から何も変わらないまま、何も成長しないまま、ただ彼女の王子様である自分に満足して、いつしかその立場に縋るようにすらなって、進歩も後退もない日々を送っている。

 知らぬ間に指に力が入ってしまっていたようで、雪歩がゆっくりと目を開き、顔を傾けて、溶けいるような視線でボクを見つめる。窓の外の夜が持つ幽かな明かりに照らされ、かろうじて彼女の表情だけが見えている。彼女に触れていたボクの手を雪歩は手探りで見つけ出し、やさしく、指を絡ませてくる。

「どうしたの、真ちゃん……?」

 雪歩が寝惚けた声でボクに尋ねる。この表情だ。ボクにだけ向けられていたはずのこの優しい微笑み。やがてこれが、ボクの知らない人のものになるのだろうか。

「何でもないよ、雪歩。朝はまだまだ先」

 そう応えると雪歩は安心した顔でふたたび眠りにおち、ボクの指に絡ませられた彼女の指から、静かに力が抜けていく。ボクにはもうこの指を繋ぎとめることができないだろう。

 ここのところ彼女の視界に男のひとが影をちらつかせはじめている。雪歩は自分がそこに憧れの色をたたえていることにまだ気づいていない。やがて彼女は恋に落ちるだろう。そうなればこの、ボクたちの恋愛ごっこももう終わりだ。ボクだって男の人を好きになりたかったはずなのに。ボクをこうさせたのは雪歩だっていうのに。それでも雪歩はやがて、菊地真という代償を捨てるだろう。変わらないボクをおいて。

 だからボクはもうこの舞台を降りなければいけない。ボクがこれから雪歩を失なうことをあらかじめ知っておかなければいけない。

 けれど雪歩はボクのこの決心も知らず、それどころか今夜目を覚ましたことすら明日にはきっと覚えていなくて、そんなこととは関係なく雪歩はその人生を生きていく。

 けれどそれでいいんだ。

 
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